第225話 江戸蕎麦切400年を迎えて

     

~ 時代は巡る ~

 毎年1月、京王プラザホテルにおいて「麺四団体新年祝賀会」が開かれる。出席者は約500人。1時間ほど政治家の祝辞が続き、その後に会食会となる。私も、(社)日本蕎麦協会の理事の末席に就いて以来、参加させていただくようになった。

 政治家たちのご挨拶は、たとえば今年なら・・・、

 ・和食が世界遺産に登録されたこと、

 ・食の事件が多発したこと、

 ・富士山が世界遺産に登録されたこと、

 ・東京オリンピックが決定したこと、

 ・自民党都連が都知事選のM候補と政策協定を結んだこと、

 ・株高によって日本の資産が増えたこと、などが続く。

 ただし、これは政権与党の目であることは祝賀会の性格上、止むを得ない。

 そのためか昨年の祝賀会は、「自民党の政権復帰で世の中が明るくなった」の一点で飾られていた。

 見渡せば、こうした新年恒例の1月の催事は、経団連新年祝賀交歓会、NHKテレビの新春討論会などとまことに盛んである。その中で語られることは、世の中の動向のキーの一つであることは間違いない。

 聞いていると、スポーツ関係の監督や映画監督、ベストセラー作家、企業の創業者などの語る言葉には、オンリーワンの骨太さが感じられて頼もしい。

 しかしながら、政治家や財界人や評論家のそれには頼りなさを感じるが、それはこちらが年を重ねてきたせいもあるだろう。

 といいながら、小生も頼りないメッセージを発言していると思うことがある。

 それは、ある機関紙(年2. 3回発刊)の編集長を任せられているため、「編集長の眼」という欄で、その間に起きた社会の出来事にコメントをしているが、いつも執筆後に「も少しマシなことは言えないか」と反省するばかりである。 

  ともあれ、このような時代を観る、特に比較して見るという方法は、実は在職のころ、ある大学病院の循環器の教授から教わった。たしか30歳代の後半だったと思う。

 その医師は、世界の循環器学会に出席し、その過去10年ぐらいの抄録集を比較分析され、そこから見えてくる疾病や手術法のトレンドを把握するようにつとめられていた。大学の教授であるから当然の姿勢であろうが、それでも「予測不可能な疾病や、天才的な学者が驚くべき手術を披露することもあるよ」とおっしゃっていたところがミソであると思ったものだった。

 そうして、60歳代の前半のときだった。無洗米を開発したアイディア社長に取材したときには衝撃なことを教わった。

  「開発・開拓は優等生にはできないよ。優等生は暗記力・記憶力・論理力に優れているが、それは集中力の賜物。発明や開拓は想像力・創造力・直感力、それは反対に拡散力だ」というわけである。

 確かに、そういうところがある。だから先述の骨太いオンリーワンと、狭い範囲で獲得したナンバーワンの、スケールの相違が生まれてくるのだろう。

 

 さて、論を冒頭の話題に戻すと、これからは和食が世界へどう進出していくかが注目されるところであると思う。

 その前に、和食の良さ ― 日本人が得意な、気配り・品質の高さ・創意工夫などを世界に向かってもっとアナウンスする必要があるだろう。

  さらには蕎麦のことでいえば、今年(2014年)は、江戸で蕎麦が食べられてからちょうど400年目という節目を迎えている。

 『慈性日記』という史料には、慶長十九年(1614年)二月三日(陰暦)に、京尊勝院の慈性と江戸東光院の詮長と近江薬樹院の久運の3名が江戸の常明寺で蕎麦切を食べたと記録してある。

現代に続く江戸・東光院

 われわれ日本人は、ご飯、麺、パンを常食するようになって久しいが、麺、すなわち粉食は鎌倉時代に碾臼が伝来してから普及し、とくに蕎麦は「俳諧と蕎麦切は江戸の水によく合う」と芭蕉翁が予言したように、江戸初期から日本人の大好きな食べ物のひとつになった。

 その間、蕎麦はむろんのこと、汁、薬味は進展してきた。

 むろん、私たちの食事も400年で大きく変化してきたことはいうまでもない。

 そこで、さらに400年後のわれわれの食べ物はどうなっているか? 

 江戸蕎麦切400年目の2014年は、それを考える良い機会だと思う。

 

 参考:林観照 校訂『慈性日記』(続群書類従完成会)、

 〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる