第640話 仮面の告白
Yさんへ。先日「638話の蕎麦談義の絵は何ですか? コロナウイルスにしては愛くるしいのですが…」というメールを頂きましたが、
あの絵は、もともと中国異民族の「仮面」姿なんです。ご指摘のようにコロナと仮面を結びつけてみましたが、それにいたるまでの特別な理由はありません。ヴエネツイア・カーニバルの仮面を見て、そう思っただけです。なので、とりあえず仮面について今まで見聞したことを書き並べてみました。ただ系統だった話ではないので、雑談と思っていただければ幸いです。
☆漢の武帝の時代
中国貴州省を訪ねた江戸ソバリエ第三次北京プロジェクトの仲間はご存知のことだが、「夜郎国」という古代国家があったという辺りを車で通ったとき、一帯に写真のようなモニュメントが建っていた。それが印象深かったので、東京に帰ってから描いてみたのが638話の挿絵である。
「夜郎国」というのは『史記』に出てくる古代都市国家である。漢時代のことであるからおおざっぱにいってほぼゼロ世紀ごろとみていい。
『史記』によれば、今の四川・貴州・雲南には、当時多数の古代都市国家が在ったらしい。中原は漢の武帝が統治。そして彼は南への商業ルートを開発するために、辺境の都市国家を攻略、漢帝国に従属させた。うち、一つだけ最後まで抗戦した国があった。それが昆明国である。司馬遼太郎は昆明人の国家だと言っているが、昆明人が何者かまでは追究していない。ただその地は今の昆明市ではなく、大理市辺りである。昆明人は最後まで抵抗し、とうとう武帝はこのルートを諦めて、西域ルートを開拓することにした。
その昆明が、ソバリエにとって重要なことは大西近江先生の主張される栽培蕎麦の起原地に近いということである。そんなわけだから、古代都市国家といえものに関心をもって、絵を描いた次第である。
☆秦始皇帝の時代
時代は遡って秦帝国を建てた始皇帝の話である。『キングタム』という劇画が大人気だったため、映画になった。
マンガ類が映像化されやすいが、ときに底の浅さが出て面白くない場合が多い。しかし時代モノは制作費がかかるから最初から腰を据えて作るらしい。そのうえ当映画は有名俳優陣を配置したため大ヒットした。なかでも長澤まさみの戦う姿がカッコいいと人気をさらったのはちょっと前のことだった。
その映画が先日TVで放映された。
話題の長澤まさみの役は山の民の親分・楊端和だった。秦に隣接する山の民を統一して「山界の死王」と恐られる親分の役である。
その山城を中華統一を夢見る若き政(後の始皇帝)が同盟を結ぼうと訪ねたところ、その死王や部下たちは全員恐ろし気で異様な仮面を付けていた。
だが同盟が成立するや「死王」は仮面を外す。すると美しすぎる女性が・・・という意外性を狙った演出であった。モデルとなった揚端和は実在の秦の大将軍であるが、むろん男性である。魏の衍氏(鄭州市)ノ戦い(紀元前238年)、趙の鄴ノ戦い(紀元前236年)、趙の首都である邯鄲を囲んだり(229年)して大活躍したことが『史記』で語られている。
ところが原作者の原泰久は、この揚端和を異民族の女将軍として描き、鬼のような異様な仮面を付けさせた。
鬼というのは古代日本にもいた。ヤマトタケルの熊襲征伐、八岐大蛇退治、桃太郎の鬼退治、坂田金時の大江山の鬼退治、蝦夷征伐・・・。中央政府から見れば、従わない者たち、反体制、反秩序の者どもは、みんな恐ろしい鬼(馬場あき子『鬼の研究』)とよばれた。
この思想の原点は中華にある。自国を中心にして、四方に棲む人を野蛮な国「北狄・東夷・南蛮・西戎」と呼び、鬼扱いにした。分かり易くいえば、他を差別して、自分を優位にしようという考え方である。そこから異民族 ⇒ 鬼 ⇒ 仮面というイメージがつながった。
☆三星堆の時代
しかし、この仮面については史実がある。漢や秦よりさらに遡ったころの話である。
四川省成都高原(徳陽市)の3000~4000年前の三星堆遺跡から仮面などの青銅器が多数出土した。日本は縄文時代であるが、かの地には「古蜀」というクニがあった。考古学界では中原の黄河流域とは別に長江文明があったと熱くなり、三星堆を「仮面の王国」と呼んだ。
それにしても、この仮面はいったい何か? なぜ埋められたか?
前者の疑問は祭祀用。後者は政権交代、または交戦による埋納と推理されているが、たしかに三星堆は交戦の末に先述の秦に滅ぼされた。
☆仮面劇へ
仮面といえば、中国は仮面劇が盛んである。ただ中国は広大で歴史もあるから、演劇史も一言で述べられるものではないが、あえて簡単に言えば、①元々は宗教儀礼であったものが②演劇的になって「儺戯」へ、③それから世俗演劇「川劇」へ、④そして現在の興行的な「京劇」へと変容していったと理解すればほぼ間違いないが、各々を少し付け加えよう。
宗教儀式に、使用されたもの三星堆の仮面であろう。
「儺戯」は、高倉健が主演した映画『単騎、千里を走る』で紹介されていた。またわが国の春日大社の伎楽や宮中の雅楽は明らかに、「儺戯」の影響を受けている。中国の呉で生まれた歌舞が百済へ、そして飛鳥へ伝わり今に続いているのである。あるいは日本の宮中に伝わり「追儺の儀」となり、今は節分の「鬼は外」に変わった。それにわが国の「能」も「儺戯」から変化したともいわれている。
川劇(四川・貴州・雲南:唐代から)などの地方劇は、他に昆劇(江蘇州:16世紀から)、越劇(浙江省紹興:今は女性劇)など100以上があるという。したがって第三次北京プロジェクトが訪ねた地域も仮面劇が盛んなようだ。それが冒頭のモニュメントにつながるのだろう。
京劇(北京など:清代から)は、第二次北京プロジェクトのみんなで観劇したが、京劇と歌舞伎は隈取りなど似ているところがある。隈取りも一種の仮面だ。ただ、われわれ外国人から見れば、川劇も京劇も似ているから見分けがつかない。
そんなわけで、たまには能狂言・歌舞伎・京劇・オペラ・ミュージカルと世界の劇を観賞するのも楽しいものだ。
☆ヴェネツィア・カーニバルへ
ヨーロッパも仮面舞踏会などが盛んだが、そのひとつであるヴェネツィア・カーニバルについては、そこを訪れたソバリエの赤尾吉一さんや佐藤悦子さんや菊地佳重子さんたちにお尋ね願いたい。
ただ、彼らは訪問2月23日にヴェネツィア着いたが、残念ながら24日からのカーニバルはコロナのために中止、皆さんは逃げるようにして帰国したらしい。
だが写真の仮面だけはどうしてもご覧いただきたい。この鼻の長い仮面はかつてペストが流行ったころに医者が身に付けた防衛服の名残らしい。今のコロナ禍でいえば防衛服はむろんのこと、フェイスシールドやマスクといったところだろう。
というわけで、何とかコロナと仮面が結びついた。ご質問を頂いたYさま、いかがでしょうか。
☆ユングのペルソナ
それにしても、人々はなぜ仮面が好きなんだろう。難しいことだから深入りしない。ただユングは「ペルソナ」を「社会的表面的なパーソナリティ」と説明している。つまり「パーソナリティ」と言っているから、他人も自分も本人の姿だと思っているところがミソである。わかりやすくいえば、仕事上の顔が本当の顔だともいえる。
そういう風に観れば『キングダム』の仮面の戦士たちのそれは、仮面も戦闘服ということになる。消防士の防護服や仕事上の制服、野球のキャツチャーマスク姿・・・が自分だということになる。もっといえば女性の場合お化粧した顔が自分ということにもなる。
そうすると三星堆の謎の仮面も、やはりシャーマンが宗教という仕事上で使った仮面と理解すべきだろう。
そして、仮面劇とか、カーニバルはそれを娯楽化したもということになる。
☆仮面の告白
638話でコロナ禍を書いたとき、ヴェネツィア・カーニバルの白いカラスのような仮面が気になって、思い付きで仮面的な絵を挿入してみた。思い付きはよくいえばインスピレーションであるが、それ以上の考えはないということでもある。
Yさんのメールは、ときどきこんな私の隙を突いてこられることがある。それに対して自分でも「なぜだろう?」と整理するつもりで、見聞したことを並べていたら、何か光が差してくるものがあった。それがユングの言葉だった。お蔭で何とかまとまったような気がするので、〝雑〟なる話を格上げして今回は仮面の〝蘊蓄〟ぐらいにしておこうか。
〔文・絵 ☆ 江戸ソバリエ北京プロジェクト ほしひかる〕