第845話 麺を〝啜る〟 肉を〝齧る〟
2023/07/05
早朝9時から、更科堀井の会の打ち合わせがある日だった。
8時台の混んだ電車に乗るのは嫌だったから、早めの7時台に乗って目的地の地下鉄麻布十番駅で下りた。当然早く着き過ぎたので、十番通りの喫茶店に入って、バター・トーストと珈琲を頂きながら、時間を待った。バター・トーストの焼けた匂いは堪らない。一口二口と齧って美味しく食べた。
齧るといえば、江國香織さんが何かのエッセイでこう書いていた。
「パンは、食べるというよりかじるという方がしっくりくる」
この一文を読んだとき、前にニューヨークのステーキ・レストランでステーキを食べたときの状況を思い出した。レストラン内は仄暗かった。洞窟のような店内で客は肉の大きな塊をナイフ、フォークは使っていたが、隣席の若い女性ですら〝齧る〟ようにしてペロリと平らげていた。われわれといえば男性3名で二人分を注文し、それでもなお食べ切れずに余ってしまった。このときNY在住の山岸さん(ソバリエ)が「かれらは狩猟民族なんだよ。われわれ農耕民族の日本人と違うよ」と言った。山岸さんの言葉は電気みたいに私を刺激し、あのラスコー洞窟(フランス)の壁に描かれている動物のことを思った。
人類が飛び道具(槍・弓矢)を発明したのは5万年前の太古だという。そのときから一番の弱者だった人間が猛獣などを狩るようになった。狩られる動物から狩る動物に逆転したといわれている。ラスコーの洞窟壁画は約2万年前のものだというから、ラスコーの人たちは狩のあと、獲物の肉を〝齧り〟ながらあの絵を描いたのではないかと思った。それで帰国してから、ラスコー洞窟の野牛みたいな壁画を真似て描いてみて、それを確信した。
ところで、フランスの人類学者レヴィ=ストロースは、エジプト → ギリシャ→ ローマ → 西欧へと続く文明を「月の表側」の文明だと述べている。そして他の国々は「月の裏側」だといっている。この見方を敢えて言い換えれば、狩猟民族の〝齧る〟食文化が「月の表側」だというのだろう。
ところがである。われわれ裏側の人間は、食べ物を歯で〝齧る〟のはみっともない、下品だと考える。なぜかというと古代から箸という文明の利器を使って食べる習慣をもっていたからである。しかし、日本は明治になって、政府が脱亜入欧策をとったため、食事も洋食が一流、和食は二流となった。それでも私の子供のころは、果物の林檎を少年は丸齧りすることがあっても、少女たちは皮を剥いて切って、黒文字かフォークを用いて食べる作法みたいなものは残っていた。しかし、洋食上級策は、国民の意識に深く浸透していき、近年になると〝齧って〟食べるハンバーガーやフライドチキンが人気となり、その一方「麺を〝啜って〟食べるのは日本人だけだ」と信じ込む人たちが出てきた。そればかりか「音を立ててはダメ」「汁が散る」などと粗探し気味に卑下する。
しかしながら、山岸さんが言うように狩猟民族と農耕民族は食文化が違う。麺文化圏の東アジアを訪れてみると、麺と箸は切っても切れない関係にあることを現実として認識する。そして東アジアの人たちは箸を使って麺を啜って食べている。さらに日本の江戸において《ざる蕎麦》が誕生し、麺とつゆが別仕立てになり、麺をつゆに〝付けて〟食べるという世界でも珍しい食べ方に特化すると、啜ることが進化したと思われる。
こうしてみると、そもそも食文化というものは源泉から多様であって、それを強制的に一本化、あるいは上下視することはないということになる。
〔江戸ソバリエ協会 ほし☆ひかる〕