第893話 舞台と壇上

     

 昨年の夏、インターネットラジオに出演させていただいた。その機会を与えてくださったnokkoさまから、「今年もどうですか」とお声がかかった。「喜んで」とご返事したところ「杉並区で日舞の会があるから、そのとき打ち合わせをしましょう」とのことだった。nokkoさんは、才ゆたかな女性で、インターネットラジオのパーソナリティの他に、茶道、日舞に励まれ、日舞では喜泉蘭昇を名乗っておられるとのことだった。

 この日、舞台では59組の舞いと踊りが披露されるようだった。
 私は日舞というのを観るのはほぼほぼ初めてだった。そこで少し早い時間の第二部の頭から蘭昇(nokko)さまの出番までの22組を拝見させていただいた。そうするとやはり印象に残る舞台というものがあった。
 それは誰かというと、「人生紙芝居」を踊った三好光恵さん、「飢餓海峡」の工藤亜弓さん、そして「酔って候」の喜泉蘭昇さんだった。
 三好光恵さんはたぶん男性だと思うが、手足の動きがしなやかでそれでいて切れがあり、目線もよかった。もちろん踊り軽やかで、思わず観客も誘われて手拍子を打って歓声があがった。最高に楽しい踊りだった。
 それと一変するような舞台が工藤亜弓さん、舞いに演劇性があった。歌手の石川さゆりさんは演歌は僅か数分の歌の中に身体で物語を演じるというようなことをおっしゃっていたと思うが、今日のもそうだった。物語表現あふれる演舞に背筋がゾクソクするようであった。
 そして喜泉蘭昇さんにも素晴らしい演出性があった。悲しくて酔うのか、楽しいから酔うのか、理由は分からない。だからそこには物語性はなす。〝酔い〟だけを切り取った舞い、あとは観る者が想像するしかない。そうした上での酔いの表現。だから演出が必要である。そこで彼女は、ご自分のお顔、姿、衣装を「酔って候」一点に集中させた。さすがはラジオのパーソナリティ、縁出力はそこから醸し出されるのだろう。そういう意味では「春よ来い」を踊った人にもそういう演出性はみられた。淡い桜色の衣装は「春よ来い」に合っていたが、演技力が蘭昇さんの方が優っていた。

 と、人さまのことは簡単にいえるが、たとえば自分が講演などで壇上に立つ場合も同じだろう。そもそもが会場の座席というのはなぜか眠くなるらしい。そこでいめいめ研究した人がいて、やはり退屈な講義ほど居眠りする人が多いらしい。では退屈させないとは何だろうか。ドタバタ喜劇は論外として、先ずは講演の内容や話し方など全てが演者に相応しいものがよい。その上で聞く者が「楽しかった」「勉強になった」と何かを得るようなことでなければならないだろう。
 そう思いながら、蘭昇さんに拍手をおくり、彼女と打ち合わせをするためにロビーへ向かった。

  ほし☆ひかる
江戸ソバリエ協会 理事長