第930話 鴨が葱背負ってⅡ
2025/02/14
☆菊谷の《鴨の肝のペースト》
昨年の暮、巣鴨「菊谷」の兄貴さんの店国分寺「菊谷」がオープンした。
なので、ソバリエのsoba walkの会で行ってみようということになった。
店の場所はだいたい分かっていた。北口から歩いて行くと、灯りが見えた。前にある雑誌記者の「尾」さんが「武蔵野はうどんですよ」と言って連れて行ってもらった「甚五郎」だった。「菊谷」はその近くのはずだった。
店には約束の19時よりだいぶ前に着いたので、「尾」さんに電話してみた。「甚五郎の近くの菊谷に来たよ」。「あら残念、まだ日本橋小舟町の事務所で仕事中ですヨ」。
そうしているうちに、ソバリエの「高」「盛」「林」さんが見えた。他の皆さんは、「山口大学で講義が入った」、「沖縄へ出張」、「仕事から抜けられない」ということで欠席だった。
お料理は、お通し、蕎麦味噌、チーズ返し漬け、玉子焼き、天麩羅、百合根、味噌田楽、蕎麦掻揚げ、蕎麦掻き、鴨の肝のペースト、もり蕎麦に、お酒と、盛り沢山。
《舞茸の天麩羅》の舞茸は大きくて舞茸の味がしっかりしている、《干芋の天麩羅》は初めてで、甘味のようで美味しい。
《鴨の肝のペースト》は「美味」という言葉がふさわしい触味。鴨は茨城の西崎ファーム産、隠し味にバターも混じっているとのこと。
締めのお蕎麦は乗鞍産。
ちょっと食べすぎたかにな~。
☆栃木伝統食の会の《雉蕎麦》
栃木市の伝統食を応援されている栃木市出身の料理研究家冬木れい先生に「雉蕎麦がありますヨ」と声をかけられ参加した。
栃木市伝統食の代表は何といっても《しもつかれ》と干瓢料理。
《しもつかれ》の由来を見てみると、京の料理が北関東に伝わり、そのうちの下野の国に土着して栃木の郷土料理になったようだが、たいていはこれが郷土料理誕生の標準形であると思う。なぜなら一般的に食材は地方の物であるが、料理という食文化は都会で生まれるからである。
干瓢は現在、栃木が生産量日本一であるが、干瓢というのは自らを主張はしなくて和食の何でも合う、もっとも日本らしい食材である。それを思えば、「小江戸」を掲げ、江戸料理に熱心な栃木市にもっともふさわしい食材かもしれない。
お目当ての《雉蕎麦》は、《けんちん蕎麦》に雉肉のつみれが入った形だった。《けんちん蕎麦》的なものは、昔は北関東で各地で観られたそうだが、そのうちの茨城が残って郷土料理になった。《けんちん料理》の発祥は、鎌倉建長寺といわれている。それが北関東に伝わったのは、北関東の各地を本貫地とする鎌倉武士たちが自分の領地へ持ち帰ったことによるだろう。
ところで、この雉のことであるが、室町時代に誕生した庖丁流(『四條流庖丁書』)では、調理素材は三鳥(鶴、雁(カモ科)、雉)、五魚(鯉、鯛、真名鰹、鱸、鮒)が基本だったという。現在の和食は武士の時代に誕生したものだから、当然その素材や料理法は、武士の生活慣習と関わっていたと考えるのが妥当だろう。
だとすれば、目の前にある《雉入りけんちん蕎麦=雉蕎麦》は鎌倉武士の食風景だったのかもしれないと思えてきた。
☆おしんの《鴨汁せいろ》
神田の、明神下に蕎麦屋「おしん」がある。
江戸ソバリエ・江戸(旧寺方)蕎麦研究会の新年会で、仲間の皆さんとうかがった。
当店は、江戸ソバリエ認定講座後にご提出いただいた「舌学ノート」を拝読するかぎり、かなり多くの皆さんが訪問されているようである。
今宵のお料理は、幹事の「宮」さんが手配済みだったので、大根なめこおろし、板わさ、出汁巻き玉子、蕎麦掻き、蕎麦寿司、天麩羅、お蕎麦という具合に、次々と楽しむことができた。そして最後のお蕎麦は各々が好きなものを注文することになっていた。私は《鴨汁せいろ》にした。
*《出汁巻き玉子》は、ふわふわ。ここまでのは初めてかもしれなかった。
*蕎麦屋の鴨は、温かい《鴨なん》か、冷たい《鴨汁せいろ》が定番。
そのうちの《鴨なん》は、江戸日本橋生まれ。徳川将軍家の鷹狩のおこぼれで、鳥問屋に鴨が入荷するようになったところから、日本橋の蕎麦屋「笹屋」の治平衛が、それまでの雉に代わって鴨を食材とした逸品を考案したのが、始まりとされている。
当店の、鴨は愛知、蕎麦は京都の筒井在来ということだった。お蕎麦は細くて美味しかった。
鴨汁には、鴨肉片と鴨肉のつくね、そして葱が入っている。肉感を味わうには肉片、汁を味わうにはつくねがよいと思う。
加えて、鴨汁の楽しみは蕎麦湯である。鴨汁を足した蕎麦湯は、ほっとする美味しさがある。
今宵もごちそうさまでした。