第476話 世界都市×江戸・東京文化

     

東京・北京・ニューヨーク

今年(2018年)は「江戸」が「東京」になってから150年だ。
景観を見ると、都市部はおろか街並はビルが並び、いわゆる瓦屋根のある家はもう昔の景色となってきた。
2020年開催の東京オリンピックを控えて、東京はますます都市化が進んでいくだろうし、またそうでなければ世界都市群から取り残されるだろう。
なら、その世界都市とはいったい何だろう?
拙著『コーヒーブルース』ではそのことを意識し、模索していたが、3月から江戸ソバリエ協会のニューヨーク・オフィスを置いたり、3月末には北京へ行くことにしたのも、小説の延長からのことである。
「世界都市とは何か?」というときに、先ず都市の文化性に注目したのは、劇作家山崎正和氏である。山崎氏は「足利義満」論を通して、室町時代の都【京】は政治性・文化性・国際性があったとし、後の【江戸】は農民的・官僚的で、国際性を欠いていたと観ている。
文化都市【京】:農民都市【江戸】、それは明治以降の今でも温存されているところが見受けられるが、それはおそらく歴史的な「先進西日本」:「後進東日本」に由来するものだろう。
ともあれ、山崎が見た都市を対比して列記すれば、こういうことになる。
・先進西日本:後進東日本
・足利家の京:徳川家の江戸
・〔公家+武家〕文化:〔武士+町人〕文化

室町時代の足利義満が目指した都市とは、歌道・華道・茶道・能による文化度の高さだった。
一方の江戸は、家康の建都に始まり、続く家光の参勤交代制によって、全国の田舎者がドッと江戸に流入したまではよかったが、徳川政府は芽生えた町人文化を育成することなく、官僚的締付けに腐心するだけで、都市文化を育成しようという考えはなかった。せいぜい擁護したのは「吉原文化」ぐらいであろう。これも都市文化の一つといえなくもないが、室町文化のもつ芸術性とは程遠い、いえば歪な、俗文化であったことは否定できない。
ただ他面では、寺方由来の蕎麦切や、町方生まれの握鮨や天麩羅などの外食産業が江戸で始まり、江戸の食=江戸の味を花開かせた力は見逃せない。
芭蕉が「俳諧と蕎麦切は江戸の水に合う」と云ったと伝えられているが、粋な歌舞伎や浮世絵なども江戸の大衆に合う文化だった。
それらは尊ぶべき江戸文化であるが、いつまでも伝統文化のままではいけない面もある。
【江戸】が生み出した伝統文化を【東京】で活かすためには、何があるか?
言い換えれば、【江戸にできなくて、東京ができること。】そういう風に考えると、先ず世界都市間の交流ということが揚げられるだろう。
【江戸】では城下町だけが文化の地であった。それが、世界と交流することのできる【東京】は、世界を文化の地にすることができる。
国と国の交流が難しいなら、都市間の文化交流をもっともっと盛んにすべきだと考えるが、いかがだろうか。
【世界都市×江戸・東京文化】

〔文・挿絵(紫禁城) ☆ エッセイスト ほしひかる