第74話 藤原山蔭「四条流庖丁式」

     

 

 「伴大納言絵詞という絵巻物がある。常盤光長という絵師が描いたとされているが、内裏の応天門が燃えた事件の一部始終が描かれてあることで有名である。

 応天門が放火され、炎上した事件は平安末期の866年に起こった。むろん、朝廷は大騒ぎとなった。応天門というのは政務や重要な儀式を行う朝堂院の正門であるから、現代でいえば国会議事堂の正門のようなものだが、その門は大伴氏が造営したものと伝えられており、「これを心よく思っていなかった左大臣源信が火をつけたのだ」と大納言伴善男が告発した。善男は遣手だったらしく、左大臣が空席となれば、現右大臣の藤原良相が左大臣に格上げされ、自らが右大臣におさまれることを狙っていたともいわれている。

 右大臣の良相は源信の逮捕を命じ、兵は邸を包囲した。これを聞きつけた参議の藤原基経が義父の太政大臣藤原良房に急報した。驚いた良房は56代清和天皇に「源信ではありませぬ」と奏上。この清和天皇は幼少期に良房の邸宅で育てられていた。だから天皇は良房を深く信任していた。すぐに源信は無実とされ、邸を包囲していた兵は引き上げた。                 

 ところが数日して、大宅鷹取という者が「応天門の放火の犯人は伴善男とその子の伴中庸である」と逆に訴え出た。鷹取は「応天門の前から善男と中庸ら3人が走り去ったのを見た。そしてその直後に門が炎上した」と申し出たのである。鷹取は、子女が善男の従僕に殺されたことを恨んでいたという裏事情があったらしい。

 天皇は勅を下して伴善男の取調べを命じた。伴善男、中庸らは捕らえられ厳しく尋問された。しかし、彼らは犯行を認めなかった。それでも有罪となり伴善男は伊豆国、伴中庸は隠岐国に流された。

 真犯人は誰か? 事件の真相は歴史の闇の中であるが、結果的には大伴金村以来の名族伴氏(大伴氏)は没落した。続いて源信・藤原良相の左右両大臣が急死し、藤原良房は朝廷の全権を把握するようになったのである。

 さて、朝廷では事件の8年前、藤原高房という地方長官の次男藤原山蔭(824-888)という者が、皇太子惟仁親王の春宮大進に任ぜられていた。そしてこの親王が56代清和天皇位に就くにともない、山蔭も天皇の側近となって重用されていった。しかし山蔭は清和天皇が876年に退位したとき一旦引退を決意するが、57代陽成天皇の慰留によりずっと出仕を続け、ついには中納言にまでなった。

 この山蔭であるが、われわれ食に関わる者としては実に興味深い人物である。というのは、58代光孝朝(在位884~887)に、今までとは別の新たな庖丁式を編み出した人として知られているからである。
 

 山蔭は、いったいどのような料理法を編み出したのだろうか?
 この時代の、宮廷の正式な料理を「大饗料理」と呼ぶ。これには、親王、公卿が正月二日に中宮東宮を拝賀して饗応に預かる「二宮大饗」や、左大臣・右大臣が正月二日か四日に行う「正月大饗」、あるいは左右大臣が新任したときの「任大臣大饗」などがあった。
 いずれも、生物、干物、唐菓子、木菓子などが並んでいた。その中の生物とは、雉、鯉、鱒、鯛、海月、栄螺、海鞘、雲丹などであったらしい。
 当時はたいした調味料も、料理法もない時代である。それでも儀式用の料理として立派なものを用意しなければならない。そういうときに、食材をどう扱えばよいだろうか。幸い、わが国には日本刀という世界に類のない切れる道具がある。これを使って雉、鯉、鱒、鯛を美しく切って献上しようという考えがあったのだろう。その切り方を正式に定めたのが藤原山蔭である。これが四条流庖丁式の由来である。

【平将門・三宅蘭崖 画】

 追記すれば、このころから東国をはじめとしてわが国には武士団が誕生していた。それは優れた日本刀の発明と無縁ではない。これまでは突くことしかできない直刀(剣)であったが、武士の台頭とあいまって切る湾刀(刀)が生まれた。その刀を持って暴れ廻る武士団の頭領の一人平将門(神田神社の祭神)は、山蔭が没した(888年、享年65歳)約50年後に東国で乱を起こして討たれた。
 将門は若いころ京に上り、藤原忠平(藤原基経の子)の家人として仕えていたから、四條流の庖丁式の一端ぐらいは垣間見ていたのではないだろうかなどと想ったりするが・・・・・・。

 

参考:出光美術館「伴大納言絵詞」、『伴大納言絵詞』(中央公論社)、谷太三郎『伴大納言絵巻』(読売新聞社)、『日本の料理』(淡交別冊no.17)、 神田神社「庖丁式」、「四條流庖丁書」(『群書類従』第19輯)、報恩寺「俎板開き」、ほしひかる「俎の歴史」 (『FOOD CULTURE』No.18)、ほしひかる「蕎麦談義」第11話、26話、31話、43話72話、73話、

 

    〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる〕