第59話「ブランデンブルグ」

     

 

 わが家では珈琲豆を月に200㌘ぐらい使用しているが、その豆は40年ちかく入谷「キャラバン」の諸岡さんが焙煎したものを使っている。長年続けて愛飲できたのは、職人気質の諸岡さんの、品質のよさと、厭きない美味しさの追求のせいであろう。

 だが、たまに浮気することもある。ある日、千住の「バッハ」という珈琲の名店を訪れた。この店は2~3年に一度ぐらいは訪ねている。

 街を見渡すと、よく「モーツァルト」という名の珈琲店を見かける。このモーツァルトの曲というのは珈琲によく合うと思う。そのあたりのことを宮本輝さんの『錦繍』はうまく描いてある。

 千住の珈琲店が「バッハ」という店名にしたのは、J.S.Bach が「Coffee Cantata」という曲を作っているからだろう。作曲したのは1734年ごろらしいが、そのころのバッハはライプチヒ市の音楽総監督であり、また学生の音楽団体「コレギウム・ムジクム」の指導もしていたらしい。当時のライブチヒではコーヒーが大流行し、バッハ&コレギウム・ムジクムは、「ツインマーマン・コーヒー」というコーヒー店で毎週演奏会を催していたという。

 この日帰宅してから、バッハの「ブランデンブルグ協奏曲」をCDで聞いてみた。この曲は、いまごろの季節か、春に聞くのが相応しい。軽やかなリズム、それでいてバッハの力強さもあるが、夏や冬の曲では決してない。

 そういえば、詩人で彫刻家の高村光太郎は、この曲を聴いて「ブランデンブルグ」という詩を書いた。岩手の山山の10/31の景色とバッハの底力が、光太郎の創作意欲を突き動かしたのだろうか。

岩手の山山に秋の日がくれかかる。完全無欠な天上的な

うらうらとした一八○度の黄道に

底の知れない時間の累積。

純粋無雑な太陽が

バッハのやうに展開した

今日十月三十一日をおれは見た。

「ブランデンブルグ」の底鳴りする

岩手の山におれは棲む。

山口山は雑木山。

雑木が一度にもみじして

金茶白緑雌黄の黄、

夜明けの霜から夕もや青く澱むまで、

おれは三間四方の小屋にいて

伐木丁丁の音をきく。

山の水を井戸の汲み、

屋根に落ちる栗を焼いて

朝は一はいの茶をたてる。

三畝のはたけに草は生えても

大根はいびきをかいて育ち、 

葱白菜に日はけむり、

権現南蛮の実が赤い。

啄木は柱をたたき

山兎はくりやをのぞく。

けっきょく黄大癡が南山の草廬、

王摩詰が詩中の天地だ。

・・・・・・

  権現南蛮とは唐辛子のことである。だから、大根、葱、権現南蛮のところにきて、「まるで、蕎麦の薬味の羅列、Yakumi協奏曲ではないか」と笑った蕎麦通がいる。

 それから私も、何だか分かったようで、分からない詩に誘われて、「ブランデンブルグ協奏曲」が好きになった。

 そして思った。この曲と相性のいい蕎麦は何だろう、と。

 やはり権現南蛮の薬味なら、温かい《かけ蕎麦》がいいだろう。それとも熱い《蕎麦湯》が相応しいか。

 あヽ、バッハの「協奏曲」よ、光太郎の「ブランデンブルグ」よ、と。熱い蕎麦湯に唐辛子を振って、遠くの山山を眺めながら、一息つくのもいいだろう。

参考:J.S.Bach 「Coffee Cantata」、J.S.Bach Brandenburg Concertos伊藤信吉編『高村好太郎詩集』(新潮文庫)、宮本輝『錦繍』(新潮文庫)、

   〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員 ☆ ほしひかる