第612話 学生講座の楽しさと責任の重さ
大妻女子大学の松本憲一教授のゼミで蕎麦の話をする機会があった。
松本先生とはご縁があって新発田の「一寿」さんや札幌の「長命庵」さんなどともに10年ちかくご指導いただいている。
その日のメインは、ダッタン蕎麦(乾麺)を使った創作料理の発表会であった。彼女たちが考案したその作品は次のように和風が2点、イタリアン風が3点、中華風が2+1点、いずれもおしゃれで、美味しそうなものばかりであった。(順不同)
・《いなりそば》
・《梅納豆蕎麦》
・《トマトとクリームチーズの和風ソース》
・《三種のきのこのクリーム煮》
・《そばゲッティ~ペペロンチーノ風~》
・《そばタグタンメン》
・《そばのあんかけ焼きそば》
・《辛ラーメンアレンジ》辛ラーメン
さて、蕎麦の話の方であるが、私は「江戸蕎麦が日本の蕎麦の主流」ということを基調とし、あとはテーマごとにあれこれ織り交ぜてお話するようにしている。
蕎麦好きの人たちに蕎麦について話すのは楽しい。しかしそれ以上に今日のように学生さんたちにお話するのは楽しい。なぜかといえば学生さんたちは勉強熱心だからである。
話している間にもほとんどの学生さんがせっせとペンを走らされているところが嬉しい。近頃は、映像が発展しすぎているためか、見ているだけでよく理解できたような気になる。だから改めてメモをとろうという人は誰もいない。たしかに人間は情報の80%を視覚から得るというから、そういう態度になるのは当然かもしれないが、情報を得るということと、理解するということは別物である。それをカバーするのはやはりメモであると思う。
そして演者というのは視聴者が熱心になれば調子が出てくる。話し足りないところもあったが、時間がきたので私の拙い話を切り上げた。だが、その後が驚いた。全員が感想文をさっと書いて提出してくれたのである。先生のご指導によるものらしいが、‘メモの次’があったことがさらに嬉しかったが、これも創作料理と同じことかと思った。
☆話を聞く(情報)→メモをとる(選択)→感想文を書く(創作)→
☆素材を知る(情報)→素材を集める(選択)→創作料理を作る(創作)→
ということである。
一昔前は、情報は人・物・金に続く第四の資源といわれた。
しかし、今や世間は情報にあふれている。それよりか考えることの大切さが松本先生の教育方針ではないかと思った。
「情報を得る・集める」ということは言葉をかえれば、「現在の社会を知る」ということである。しかし、「書く・作る」ということは、「新しい社会を作る」ということにつながる。どちらも必要なことであり、それを知る所が学校であるが、特に後者は20歳代の若者の使命でもある。
で、その感想文であるが、‘私’にとって、それたいへん役に立つものであった。彼女たちの感想文を整理して、多い順に列記してみると、私の話が理解してもらったかどうか、彼女たちはどこに興味をもってくれたかが(別添の写真に関心をもたれたようだ)よく分かる。それは‘私’の次からの講演の参考になるものであった。
しかしそれは言ったように‘私’にとっての貴重な情報である。だからといってその順位情報を開示しても仕方がない。情報は数値化すべきときと、すべきではないときがある。なぜなら順位は下方であっても書いた人の背景にあるものが大きいこともある。
つまり、私たち大人がこの感想文からよみとるべきことは、将来彼女たちが栄養士となって社会に出たときに、どう役立つかの方である。いや講演そのものの目的もそこにあるのかもしれない。
それを思うと、学生講義というのは大変なことだと、責任の重さに押し潰されそうになる・・・。と、自分の話の拙さを反省するとともに、教師という仕事の崇高さをあらためて知る次第である。
〔文 ☆ 江戸ソバリエ協会 理事長 ほしひかる〕
写真:うまみインフォメーションセンターからいただいた冊子『うま味』に掲載されている「乳児の味覚に対する反応」