第678話 カーシャの海

      2020/12/18  

『世界蕎麦文学全集』物語20

  俳優の柄本明さん(劇団東京乾電池座長)がTVのある番組でこんなことを言っていた。
  子供のころの学芸会の、主役の活躍は別として、脇役のその他大勢もなかな面白い。たとえばある子が自分の番がきてもボーッとしていたのか、一言だけの台詞なのにしゃべり出そうとしない。それを見てとなりの子が「ほら、〇〇ちゃんの番ヨ」と囁きかける。これが舞台の原点です、と。
   映画やテレビドラマにはない面白さが舞台にはあるというわけだが、私にもその経験がある。
   小学校の3年生だったと思う。その他大勢で舞台に立ったが、しゃべる番がきてもボーッとしていたところ、隣の女の子が「ほら、〇〇ちゃんの番ヨ」とけし掛けてきた。この状況を一般的にはボーッとしていたというだろうが、自分的には実は妄想をしていて、心ここにあらずと言った方が正解なんだが、それも言い訳になるだろう。
   ところが、10年ほど前に小学校の同窓会があって、ひょんなことからそんな話になったので思い出したわけだが、聞けばその子は博多で飲み屋の女将をしているというから、「昔も今も仕切っているんだ」と言ってやったものだった。

 さて、これから話そうとすることは、妄想というのは、子供の特権だという話である。
   ロシアの女性作家タチヤーナ・トルスタヤの『鳥に会ったとき』にこういう件がある。

 ~ 少年Pの前に《米粥》のはいった大皿が置かれた。溶けかかったバターの島が、べとべとした海藻の海のなかに浮かんでいる。海に沈め、バターのアトランティス大陸よ。だれも助からないぞ。白い宮殿にエメラルドの鱗の屋根。でこぼこのある寺院。その寺院の高い戸口にはクジャクの羽でできたカーテンがかかり、幾重ねにみひだをつくっている。金色の巨大に彫刻像。海のなか深くまで続いている大理石の階段。鋭く尖った銀色のオベリスク。そこにはどこのものともわからない言葉で書かれた銘文がきざまれている。そのどれもが海の藻屑になるんだ。透き通った緑色の海の波が、もう寺院のでっぱったところをなめている。~

 これは何かというと、少年の想像の世界なのである。《米粥》の大海に浮かぶバターの島・・・という絵である。
   そこへ母さんの叱る声が飛んでくる。「食べるものでふざけるんじゃありません!」
   少年はびくっとし、バターをかきまぜて溶かした。それでも少年の妄想はまだ続く・・・わけである。

 ロシア人はじめスラブ民族はスープ物が大好きだいう。よく知られている《カーシャ》は穀粒やその挽き割を煮たお粥で、彼らの伝統的な食事である。お粥の具によって、《蕎麦カーシャ》、《小麦カーシャ》、《燕麦カーシャ》、《米カーシャ》などがあるが、特に《蕎麦カーシャ》が人気である。
 《カーシャ》はバターを入れ、牛乳で煮てクリームや砂糖を入れる場合が多 い。これが少年の妄想を誘ったのである。

 ことほどさように、スラブ人の間で《カーシャ》は、昔から重要な食べ物であり、キリスト教受容後では前話で見たように儀礼的な大きな意味を持つものになっていたのである。

 余談だが、「タチヤーナ・トルスタヤ」という女性作家は、あの大文豪のトルスイの遠縁になる。ロシア語は男性と女性で姓の語尾が変わるのだという。つまり男性はトルストイ、女性はトルスタヤになる。名が変わるのは当然だろうが、姓が変わるとは、日本人からすれば驚きだ!

『世界蕎麦文学全集』
 45.タチヤーナ・トルスタヤ『鳥に会ったとき』

 文  江戸ソバリエ認定委員長 ほし☆ひかる
 写真(ロシア連邦国旗):ネットより