第767話 新・美味論Ⅱ

     

~  新・料理の四面体 ~

  「江戸城濠大根」の続きである。
 辛味大根を持って北池袋の「長寿庵」を訪ねたら、店主の飯高さんは、直ぐ少量の油で大根と葉を炒めてくれ、続いて1分だけ簡単に茹でた大根を出してくれた。それから、大塚の「小倉庵」を訪ねたところ、「昨日、大根を糠漬けにした」と言って出してくれた。
 それが美味しいか、そうでないかを言うのは簡単だが、その前に美味しいとということは、個人的に好きか、嫌いかが優先基準となっていることが多い。 
 しかしながら、このような蓼食う虫も好き好きのままでは「論」にも「学」にも、「商売」にもならない。あるていどの傾向をつかまえることが物事の発展につながる。
 現に、つゆの好みでいえば、関西人と関東人は違うことをわれわれは知っている。また男女の差ということもあるだろう。ただ年齢による味覚の変化というのはあまりみられないらしい。しかし、たとえば珈琲などは未体験の子供は嫌がり、慣れた大人は美味しく感じる。その一方で味覚力は高齢者と若い人の差は変わりないといっても、高齢者は臭覚が衰えているため美味しさを感じなくなる。だから、人間が「若鶏がうまい」とか、「仔羊が好きだ」とか勝手なことを言っていると、鶏や羊の方だって「若い人間に食べてもらいたい」と思っているというジョークがあるくらいだ。
 そんなわけで、男性と女性、大人と子供、関西人と関東人、西日本人と東日本人、太平洋側の人と日本海側の人、山の民と海の民、都会人と地方の人、そして日本人と外国人というグループ傾向は必ず見られる。
 そうしたうえで、さらに好き嫌いの基本となるのが料理である。
 その料理を考えたいときは玉村豊男氏の「料理の四面体」の図がたいへん分かりやすい。  

  「揚げる料理」「煮る料理」「焼く料理」、そして「生の料理」の位置づけが明快だ。
 海外から帰国したときなどこの図を見ると、世界の料理の骨格が分かったような気になる。だからだろう、この図はかなり知られていて、ソバリエさんの脳学レポートでも何度か取り上げられた。
 ただ、玉村氏の著書の次のページには、各料理を配置した図が掲げられているが、和食のことを学ぼうとしている私のような者には、やや物足りなさを感じる。そこで自己流で料理各種を並べてみたのが、下の図の「新・料理の四面体」である。
   これを使えば、個人的にも、性別、年齢別、地域別、国別でも、グループ別の料理や好き嫌いの傾向が明らかになると思う。

 さて、ここで注視してもらいたいのが〝炊く〟と〝茹でる〟である。
   いうまでもなく炊くのは日本人の主食である米、茹でるのは日本が誇る麺である。いずれも水だけの料理、位置的にも生にちかい料理であり、ここから日本人独自の「美味基準」が生まれたものと考える。
 (調味料で)煮た場合は調味料の味が直接舌に伝わるが、(水だけで)炊いた場合は食材の味が直接舌に伝わる。たとえばご飯だと、炊いたご飯のほんのりしたあま味を感じるが、それ以上に粘り、弾力性、あるいは歯応えなどの触感が美味しさを左右する。そして、もうお分かりだろう、麺も全く同じである。かくて日本人は、水で茹でたり炊いたりした食べ物は触感が第一という「美味文化」を開発した。
 しかし、そうはいっても味覚的美味しさも求めたい。そこから、〝炊いた〟ご飯に味噌汁、〝茹でた〟麺とつゆ、生の刺身に醤油という組合わせを生んだ。でも、そうであっても触感優先には変わりない。だからご飯と味噌汁は〝分け〟たし、麺は麺つゆに〝ちょっと付け〟る。刺身も刺身醤油に〝ちょいと付け〟て、食材そのものの味を大切にするという食べ方をつくり上げた。
 こうして、世界の料理家のなかには「料理とは素材の味をなくすこと」と公言する人もいるが、和食界では「素材の味を生かすこと」となるわけだ。

 ところで、先の大根の糠漬けも、大根炒めも立派に料理である。しかしもうひとつの辛味大根を茹でたものは一般的に料理とはいえないだろう。
  だが茹でる・炊く料理を考えていた私は、自宅に戻ってから、ちょっとだけ茹でてみた。そして味わった感想が前話で述べた「古代大根の風味がした」だったのである。その後は甘味噌を付けてみたり、つゆを付けてみたりしてみた。すると、これは、《ざる蕎麦》はむろんのこと、釜揚げ麺や、湯豆腐や、しゃぶしゃぶを食べている姿と同じである。
  やはり、〝茹でる〟〝炊く〟ことが日本食文化の根幹なのだと思い至ったが故に、従来の味覚を柱とした美味論から脱皮することを考えている次第である。

〔参考〕
*江戸城濠大根  第766話 古代風味の江戸城濠大根   - ほしひかるの蕎麦談義 - フードボイス (fv1.jp)
*新・美味論  https://fv1.jp/79699/

〔江戸ソバリエ協会 ほし☆ひかる〕