第882話 台所からの革命

      2024/02/10  

☆昨日の台所 
 江戸初期に日本で最初の外食店が誕生したのは台所の事情によるものだった。
 料理するにはが必要である。その設備が流し台。これは現代も同様である。このうちの火は自分の意志で熾すことができるから、昔は都鄙に関わらず各家に竈または囲炉裏があった。しかし水はそうはいかない。昔も今も水源から引いてこなければならないから、これは公共事業であって自分の一存というわけにはいかなかった。ここに、昔の都会と農村は差が出てきた。江戸は幕府が上水道を完備させた。地方の城下町でもそれなりに設備を整えたが、農村は農業用水の方が優先であった。よって都市では都市間や身分による格差があるもののとりあえず流し台を設けることができた。だが農村や庶民は共同の流し場で仕事をするというのが一般的傾向であった。よって外食店の開業は貨幣流通程度も加わって都会でしかできなかった。当然、蕎麦店も江戸から始まった。
 江戸では、店の厨房で技を磨いた職人が蕎麦を打って、経済活動として商い。
 地方では、ハレの日などの特別な日だけ村民が寺社の厨房などを借りて手探りで蕎麦を打ち、村内で振舞った。
 これが江戸蕎麦郷土蕎麦の基本的な光景(違い)である。

 そんなわけで、江戸ソバリエとしては台所の存在は無視できないところである。
 ちなみに、江戸時代の台所の写真をご紹介すると、左は江戸の庶民の炊事場、右が幕末の佐賀城下町の武家(大隈重信の実家)の台所だ。

 江戸庶民の長屋では、共同の水道から水を汲んできて、それを瓶に入れておく。写真の向かって右端に少し見えるのが竈である。
 城下町の武家の台所は、竈と水道が並んでいる。 
 流し台は、西日本は高く、東日本が低いというモデルのような配置も見もの。私は西日本の出身で、いま東日本に住んでいるためか、そういう違いにすぐ目がいく。 
 ともかく、写真の話は昔々のこと。いまは水も火も、いわゆる「ライフライン」の大事故さえなければとりあえず安心だ。

 ☆今日の台所   
 そんなところに、料理研究家の脇雅世先生(江戸ソバリエ)からNHK『趣味どきっ!』という番組の「台所」編にご出演されるという話をうかがった。この番組名、何かで聞き覚えがあるなと思ったので、確認してみると前からシリーズになっているようだ。
 今回は「人と暮らしと、台所~冬」という題で、1、2月に連続して放送される予定になっていたので、続けて見てみることにした。

 1回目。横須賀市にお住まいの、イラストレーターこぐれひでこさん、フォトグラファー小暮徹さん夫妻の台所。
 台所はは広い。調理器具や調味料は一目で見えるように壁に掛けてある、「ぶら下がり収納」というわけだ。公平に使えるし、片づけやすいからだという。

 2回目。千駄ヶ谷にお住まいの、料理家の麻生要一郎さんの台所。
 こちらは台所がもっと広い。様々な道具や食材が並べられている。道具や調味料の顔が見えるように置くという。棚には引出しも扉もない。食器は全部見えるように重ねて置いてある。食器棚は人生の縮図だという。
 1、2回目の〝見えるように〟というのはよく分かる。分野は異なるけれど、雑文みたいなものを書いている私にとって、史料や書籍の扱いと似ていると思う。本棚の奥に隠れ、背表紙の見えない本は、もう存在しないに等しく、記憶から捨てられてしまう。

 3回目。松本市にお住まいの、エッセイストの桒原さやかさんとwebエンジニアのオリバー・ルンドクイントさん夫妻。
 さやかさんは北欧に行ったときスウェーデン人のオリバーさんと知り合って結婚。子供が生まれるときに帰国して、北欧流の生活を送っている。何が北欧流かというと、北欧の人はDIYが趣味の一つ、DIYをやっていると自信がつき、自分似合った暮らしをやりたくなるという。また子供は自然のなかで育ち、成長するといわれている。というわけで松本市の自然にも街にも近い所の古民家を買ってリフォームして、家族4人で暮らしている。その台所では夫と妻はもちろん、まだ園児の二人の子も料理を手伝っている。
 DIYの波は1970年ごろに日本へも押し寄せて、豆にこだわったコーヒー店や、手打ち蕎麦屋を脱サラして開店する人たちが多く出たことがあったが、日本のそれはビジネスに向かった。しかし、さやかさんのDIYは日常の生活であった。
 映像で家族が散歩している映像があった。女の児が大きく口を開けて走っている。局側がその女児に「何しているの?」と尋ねると、その返事が感動的だった。「風の味を舐めてるの♪」と笑顔で言った。まるで動く絵本を見ているよう場面だった。

 4回目。脇雅世先生の日。先ずは神楽坂の料理教室の台所だった。映像で見るあの部屋は、私がお邪魔してブルターニュ地方の郷土料理《キッカ・ファルス》をいただいた部屋のようだった。 
 今回は今までとガラリと違って整理整頓された台所だった。拝見していてその理由が分かった。まずは脇先生は子供のころから理科の実験が大好きという理科系思考の方だったらしい。そういう脇先生が若いころ料理の勉強でフランスへ行ったら、かの国の台所は合理的に整理整頓されていることに気が付いた。合理的な方だから合理性と出会ったということだろうと勝手に思いながら番組を拝見した。
 すると、場面は京都の台所に変わった。何と昨年から、京都にも料理教室を開かれたという。
 ここでもうひとつ脇先生について分かったことがある。
 どうして、フランス料理の先生がお二人のお嬢さままで伴って、われわれの江戸ソバリエ講座を受けられたかということだった。それはこの度の京都進出や、かつてのフランス留学、そして子供のころから理科の実験が大好きだったという脇先生の好奇心探究心によるものだろうと、これまた勝手に解釈した次第であるが、そこに東京と京都に拠点をおかれた脇先生のさらなる飛躍が見えるようだった。
 最後の場面は、お料理である。その日は京の《合鴨むね肉のステーキ》と《九条葱のスパゲティ》だった。見事だったのは、鍋に乾燥スパゲティをパラパラハラと入れるところであった。まるでスローな動画で鍋いっぱいに花が咲く瞬間を映したかのようにきれいだった。そしてお嬢さまの巴里さまと母娘でそれを食べる場面は、フランス映画『ポトフ』で美食家同志が食べているシーンと同じように見えた。
 そのとき巴里さまが、笑顔で母への信頼を表わしながら、ズバリおっしゃっていた。「母は探究心のかたまりです」と。

 5回目。茅野市の八ヶ岳山麓にお住まいの、直木賞作家井上荒野さんご夫妻。
 のっけから「台所は文体」という結論めいた言葉が飛び出した。意味は台所によって日常が決まってくるように、文体によって小説は決まってくるということらしい。
 その意味といい、そういう大事なことを明確にするところといい、いかにも作家らしいと思った。
 そういえば井上さんの小説には食にこだわった作品や文章がよく見受けられる。放送中にも、小説のなかの人物造形の鍵は食にあるとおっしゃっている。
 荒野さんの父は作家の井上光晴である。破天荒な無頼派作家として知られていて常に愛人の存在が噂されていた。今は「作家にはモラルが必要」と村上春樹が言っているくらいだから、そういう話はあまりない。が、昔の作家にはよくいた。光晴の愛人として一番有名だったのが瀬戸内寂聴であった。
 しかしそうであっても、両親は共に食に関心があり、「食卓が家族だった」と彼女は言う。
 これまでの1~4回までも「台所は人生そのもの」的な発言はよく出ていたが、彼女ほど「台所」が荒野の人物造形の鍵になった人はいないだろうと思った。

☆明日の台所
 番組は来週も続くが、一旦ここで拙い感想を述べてみた。
 振り返れば、2回目の麻生さん以外、この番組の主役は常に女性であった。
 吉本ばななの『キッチン』では、私はキッチンで寝てもいいという台詞が出てくるが、どうやら台所と女性の精神的絆は特別のような気がする。この特別感こそが、哲学者・文明評論家イリイチが言う「shadow work」として、これまでの日本を支えてきたのである。
 だが、この台所シリーズからはもうshadowではなく、新日本の兆が予感される

写真
・東京都水道歴史館(文京区)
・大隈重信記念館(佐賀市)

 
江戸ソバリエ協会理事長
和食文化継承リーダー
ほし☆ひかる