第822話 品格の山葵
2022/12/03
江戸ソバリエ認定講座受講中で日本わさび協会の代表理事の金子美愛さんから、「六本木ヒルズでわさび販売」のニュースをもらった。
さっそくヒルズへ行ってみると、カラヤン広場で野菜の販売が行われていたが、その一角に山葵があった。今日の山葵は島根(津和野)と静岡(中伊豆)産の二種だった。その場で卸してもらって食べ比べてみたけれど、後の方が卸し立てのせいなのか、あま味が感じられて美味しかった。
山葵は、一般的に静岡県有東木や中伊豆、島根県津和野や匹見、長野県安曇、岩手県岩泉などが知られているが、東京では奥多摩や三鷹なども歴史は古い。 このうちの島根産は東京であまり見ないから、「今夕は刺身だな」と思いながら、買うことにした。
夕方、山葵を卸した。緑の風の香りが鼻先をかすめる。
それを刺身に付けて食べた。美味しい、まるで山葵が主役で、刺身が脇役かのような美味しさである。
山葵を卸すときは、鮫皮か、卸金の卸し器を使う。刺身や握鮨には、魚のきめ細かな肌に合うようにねっとりと卸せる鮫皮。ざる蕎麦のときは蕎麦と山葵の植物性を損なわないようザックリ卸せる卸し金がよいと思う。
鮫皮で卸すと粘りが出るのはご承知だろう。私はこの粘りが辛味の奥の、山葵独特のあのあま味ではないかと思うが、なかなかそのことについて述べた資料が見当たらないから、仮説の仮説の段階というところだ。ただし何かの本で「ワサビ・スルフィニルはブドウ糖とくっついている云々」と書いたものがあったから、その辺りが関係しているのかもしれない。
とにかく、本山葵は辛くてあまい。このあまさが本山葵の品格であるといってもよいと思う。なぜならというわけではないが、人間も辛さ厳しさは大事だけど、それだけでは幅が狭くなる、ときにはあまさが魅力を作る。西洋ワサビにはそういうあまさはない。
こうした品格ゆえに山葵については文学でも多く取り上げられていることは、拙著『新・みんなの蕎麦文化入門』でもふれた。それに加えて女優の黒木瞳が「寿司屋」という詩を書いている。
「・・・わさびとりもつ ねたと飯」
「とりもつ」というのは、薬味は脇役という見方を越えた言葉である。黒木は役者ゆえに役者の眼で、山葵の辛味とあまみを見抜いたのではなかろうか。
追記
日本わさび協会のパンフレットに「サビのきいた人生を」とあった。これもなかなかサビが効いている。
〔江戸ソバリエ協会 理事長 ほし☆ひかる〕